恵比寿は、おしゃれなカフェやレストラン、ショップが数多く軒を連ねる、とても人気のあるスポットです。
また、年間を通じて数多くのイベントも開催され、街歩きをするだけでも気分が楽しくなってきます。
しかし、その歴史を知れば、恵比寿の街を歩くのがもっと楽しくなるはずです。
そんな魅力がたっぷり詰まった恵比寿の歴史を、紐解いていきましょう。

  1. 恵比寿という地名の由来
  2. 戦前の恵比寿の様子
  3. 戦後の恵比寿の様子
  4. 現在の恵比寿の様子
  5. 恵比寿は歴史を大切にする街

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恵比寿という地名の由来

恵比寿という地名は、どのようにして誕生したのでしょうか。
七福神の一人として知られる「恵比寿様」にちなんで名付けられたのでは、と考えた人もいることでしょう。
しかし、意外に感じるかもしれませんが、恵比寿の名前は「エビスビール」と深い関係があるのです。
かつて、現在恵比寿と呼ばれるエリアには、日本麦酒醸造会社(現在のサッポロビール)の大きな工場がありました。
そして、その工場では「エビス」の名前を冠した商品が製造されました。
恵比寿 歴史その後、ビールの売れ行きが増加していくにしたがって、工場も拡大していき、街の発展にも大きく貢献することになります。
今でも、恵比寿の街を歩けば、ビール広場やビール橋など、その当時の名残を数多く目にすることができます。
何気なく見ていた街灯のデザインにも、ビールジョッキをあしらったものがありますし、駅のホームでも、ビールの商標としておなじみの「恵比寿様」の姿が目に映ることでしょう。
また、英語での表記においても、「EBISU」の他、「YEBISU」とエビスビールと同様の表記が用いられていることからも、その関係の深さがうかがえます。

戦前の恵比寿の様子

恵比寿周辺は、江戸時代まで下渋谷村・三田村と呼ばれていた農村でした。
そして、渋谷川と三田用水に挟まれたこの地には、大名の下屋敷が点在していたと伝えられています。
現在の恵比寿三丁目は、かつて伊達町と呼ばれていた時代がありますが、これも宇和島藩の下屋敷があったことと関係があります。
当時は、伊達家が宇和島藩を治めていたからです。
他にも、恵比寿二丁目にある交差点のが「伊達坂上」と呼ばれていたり、三丁目に「伊達坂」の名前が残っていたりするなど、現在でも歴史を感じさせてくれる地名が残されています。
明治時代に入ると、日本麦酒醸造会社(現:サッポロビール)が、工場拡大のため目黒村と渋谷村(現:渋谷区恵比寿)に合計3万坪強の土地を取得しました。
かつて、農業として田畑を潤していた三田用水を、工業用に転用することができたのも大きな要因の一つでした。

そして、いよいよ1890年には「エビスビール」が発売されます。当時、工場で生産されたビールは、ビール運搬専用に作られた日本鉄道品川線(現在の山手線)によって出荷されていました。
1901年には、日本鉄道品川線にビール積み出し用の貨物駅が増設され、恵比寿停留所と名付けられました。
日本が日清戦争に勝利した後は、好景気に沸き立ち、「エビスビール」の売れ行きもますます増加したそうです。
そして、1906年には、貨物専用だった駅のそばには、旅客用の駅が増設されることになりました。
これにより、一般の人々も駅を利用できるようになりました。
恵比寿 歴史こうして、駅の周辺地域が発展していくことにともない、この地が「恵比寿」と呼ばれ始めます。
1928年には、駅の東側から白金に向かう通り沿いが、「恵比寿通り1・2丁目」と改称されました。
これにより、地名にも「恵比寿」の名前が正式に採用されるようになります。

戦後の恵比寿の様子

そんな恵比寿の街にも、太平洋戦争は暗い影を落とします。
戦況が悪化の一途をたどるにつれ、人々の生活もしだいに圧迫されるようになりました。
1943年、ついにビールまでも配給品とされたことにより、「エビス」を含むビールの全商標が一時その名を消す事態になりました。
また、戦争末期には、東京の各所が大空襲を受け、甚大な被害を出してしまいます。
それは、けっして恵比寿も例外ではありませんでした。
辺り一面、焼け野原となってしまった恵比寿では、ビールの生産も一時滞ってしまいます。
しかし、戦後の1946年にビールの生産が再開されると、恵比寿の街も、土地所有者によって区画整理が行われるなどして、復興への道を一歩ずつたどることになりました。

1959年には、恵比寿駅前から遷座された神社が、町名やエビスビールの名前にあやかって、恵比寿神社へと改名されます。
これは、兵庫県の西宮神社から恵比寿神を勧請し、これを合祀したものです。
1964年には、地下鉄日比谷線が乗り入れることで、ますます恵比寿の街にアクセスしやすくなりました。
1966年には、伊達町など5つの町が、現在の恵比寿へと改称され現在にいたります。
また、1975年に地元有志の手によって駅前に恵比寿像が建立され、街のシンボルとして愛されています。
こうして、戦後も恵比寿の街は、ますます賑わいを見せるようになります。

現在の恵比寿の様子

昭和時代も終わりに差しかかる頃、恵比寿にもターニングポイントとなる出来事がありました。
周辺地域の都市化にともなって「恵比寿工場」を移転し、街を再開発するとの構想が持ち上がったのです。
1985年、サッポロビールは「恵比寿工場」を移転し、その跡地を再開発する計画を表明しました。
そして、その計画にしたがって、1988年にビール工場が千葉県船橋市に移転されます。

さらに、1991年には、工場跡地が「恵比寿ガーデンプレイス」として再開発されることが決まります。
その後、「恵比寿ガーデンプレイス」は1994年に開業を迎えました。
「豊かな時間」と「豊かな空間」をテーマにした周辺エリアは、ヨーロッパ風を基調としたデザインで統一され、最先端な「おしゃれな」街として世間の注目を集めます。
恵比寿 歴史また、敷地面積のおよそ6割を緑あふれるオープンスペースとし、施設内で発生する排水を再生利用したり、廃熱の有効利用を可能にするシステムを導入したりするなど、「環境に優しい」街づくりのパイオニア的存在としても話題になりました。
現在、「恵比寿ガーデンプレイス」内には「三越」を中心に「東京都写真美術館」「YEBISU GARDEN CINEMA」といった商業施設で充実しています。
また、「ウェスティンホテル東京」などの宿泊施設や「サッポロビール」の本社オフィス、さらには「恵比寿ガーデンテラス」といった住居施設もあります。
こういった施設が、ショッピングや観光、そしてビジネスや暮らしの場として数多くの人々に利用されています。
また、名物のクリスマスイルミネーションや野外で行われるシネマイベントなど、多種多彩なイベントも開催され、年間に訪れる人の数が1200万人を超える人気のスポットに成長しました。
このようにして、恵比寿はビジネスを展開するにも、ショッピングに出かけるにも最適な、洗練された街として知られていくようになります。
「住みたい街ランキング」でも、上位にノミネートされるなど、その名前はすでに全国区だと言えます。

恵比寿は歴史を大切にする街

恵比寿の街を歩くと、現在でも数多くのスポットでその歴史を感じ取ることができます。
これまで何気なく歩いていた場所や、目にしていた建物にすらも、意外な歴史が隠されていることが少なくありません。
そして恵比寿には、日本の最先端をいく新しさがあります。
今も新しさと歴史の両方を楽しめる、魅力あふれる街として発展を続けています。
恵比寿は、ショッピングや食事を楽しむ人にも、ビジネスとして進出を考えている人にも、もちろん、居住を考えている人にも最適な街の一つとして考えられています。