日本の政治拠点が集中する東京都千代田区の中で、千代田区番町呼ばれる区画は言わずと知れた高級住宅街です。
古くから不動の人気を誇るこの地域には、人を惹き付けて止まない魅力が数多く存在しています。
今回は高級住宅街の代名詞である千代田区番町が人気を集めている秘密に迫ってみましょう。
千代田区番町とは
千代田区番町とは千代田区内の一番町~六番町までを合わせた総称であり、日本で最初の高級住宅街と言われています。
日本を象徴するシンボルの1つでもあり、ジョギングスポットとしても知られる皇居に隣接するような形で配置されている地域です。
皇居を挟んで東側には、都内有数の花火大会会場として名を馳せる隅田川が流れており、高級マンション街を中心としながらも緑や水辺と言った自然豊かな立地となっています。
常に時代の中心地であり程よい緊張感が漂いつつも、自然の息吹を肌身で感じられる千代田区番町の環境は、数多くの文明人にインスピレーションを与えて来ました。
現在の千代田区一番町には童謡として有名な「赤とんぼ」で知られる山田耕作や、「荒城の月」「鳩ぽっぽ」などの名歌を残し若くしてこの世を去った滝廉太郎が居住していたのです。
反戦の詩「君死にたまふこと勿れ」や詩歌集「みだれ髪」の作者与謝野晶子は、夫である与謝野鉄幹と共に明治晩期から大正初期にかけて現在の千代田区四番町に居を構えていた事が確認されています。
そして「春」や「破戒」で一躍明治の文豪となった島崎藤村は青春時代、現在の六番町にあった明治女学院で教壇を取った後に渡欧し、帰国後の晩年六年程をその六番町の新居で過ごしたのでした。
ここに挙げた文明人以外にも数々の著名人が千代田区番町ゆかりの人物として歴史に名を残し、その事から現在の千代田区番町には番町文化人通りという名前の道が存在しています。
千代田区番町の歴史
千代田区番町の歴史は今から400年以上前の、江戸時代初頭にまで遡ります。
徳川家康が江戸幕府を開いた当初、江戸城の周りには川も海も無く城を囲まれた際の逃げ道がありませんでした。
そこで家康は自分、つまり将軍直属の家臣である旗本の武家集団を親衛隊として居城の周辺に住まわせる事にしたのです。
配置されてお屋敷を持った旗本達は「大番組(大番衆とも言う)」と呼ばれるようになり、それぞれ一番組から六番組までの編成が組まれました。
この大番組が警護を担当した区域が、そのまま一番町から六番町という地名の由来になったのです。
このように千代田区番町は元々江戸城を守る為の町として組織された一面を持っています。
時代は移り変わり江戸幕府が倒れ明治時代に入ると、大番組の旗本達が割拠していた武家街は一変して政府高官や華族のお屋敷街として生まれ代わりました。
これは千代田区番町が日本の中心であった江戸城や皇居に程近く、広い敷地面積を有していた武家屋敷の跡地が多く残っていた為です。
元総理大臣の山県有朋や若槻礼次郎、軍人の東郷平八郎など名立たる歴史上の人物が千代田区番町に居を構えていました。
なお、1872年に英国公使館が千代田区一番町に移転してきた事を皮切りに、西洋や南米など各国の大使館がこぞって千代田区番町に移ってきます。
明治期の文明開化と共に、千代田区番町は国際政治色豊かな町としてその表情を変えたのでした。
昭和に入って第二次世界大戦が始まると、千代田区番町の周辺は東京大空襲の標的となってしまいます。
高級屋敷街の大半が焼失しながらも疎開で難を逃れた住民達はまた千代田区番町に舞い戻り、根強い復興作業で高級住宅街としての形を取り戻したのです。
千代田区番町からのアクセス
千代田区番町と一口に言ってもその範囲は比較的広く、利用出来る交通アクセスは豊富である点も特徴となっています。
一番町の最寄駅は東京メトロ半蔵門線「半蔵門駅」で、都心部の渋谷駅から観光スポットとして知られるスカイツリーのある押上駅まで1本で済ませる事が可能です。
また、東急田園都市線に直通しているので神奈川方面へのお出かけにも重宝するでしょう。
一番町から南西方面へ伸びている二番町では、「麹町駅」並びに「四ツ谷駅」という2つの最寄駅を利用する事が出来ます。
麹町駅の乗り入れは東京メトロ有楽町線で、埼玉県の「和光市駅」と東京湾に程近い「新木場駅」方面へのアクセスが可能です。
ターミナルとなる池袋駅やビジネス街の永田町駅・飯田橋駅などを通過する事から、通勤に便利な路線となっています。
四ッ谷駅にはJR中央本線と東京メトロ丸ノ内線・南北線の3路線が乗り入れているので、目的に応じて最適な経路を選択可能です。
千代田区番町の最北部に位置する五番町からは「市ヶ谷駅」が最寄となります。
市ヶ谷駅ではJR中央本線、東京メトロ有楽町線・南北線に加えて都営地下鉄新宿線が利用可能です。
千代田区番町から唯一最寄駅で都営地下鉄線を利用出来る地域で、新宿方面へのアクセスも良好となっています。
千代田区番町からはJR1路線、東京メトロ3路線に都営地下鉄1路線の計5路線が利用可能で、豊富なアクセス網を有したエリアであると言えるでしょう。
また、千代田区番町は鉄道だけでなく道路事情も整備が行き届いています。
千代田区番町内を走る網目状に区画された道路は直線的で分かりやすく、首都高速の出入り口も近いので車でも快適にアクセス可能です。
新宿通りや青山通りといった繁華街への通り道もしっかりと確保されています。
千代田区番町の周辺環境
千代田区番町はかつて移転してきた各国の大使館が今尚健在であり、ローマ法王大使館やベルギー大使館など荘厳な佇まいの洋風建築が建ち並ぶ国際色豊かな街並みを形成しています。
落ち着きと心地よい緊張感の漂う街並みの中に修道院を目にすると、古来からの異国情緒に思いを馳せる事も出来るでしょう。
こうした外交の中心地でもあった事から迎賓館などの施設も残されており、優美な近代洋風建築を楽しむのも一興です。
代々日本の象徴を努めている天皇家の住まいである皇居が近い事もあり、千代田区番町周辺には靖国神社や豊川稲荷など神道・仏教の拠点も設けられています。
日本らしさと近代の文明開化による国際色が入り混じった空間は、千代田区番町の魅力をより一層引き立てるものとなっているのです。
また、都内有数の文教地区としても有名であり番町小学校や九段小学校、麹町中学校、都立日比谷高校など公立の名門校が軒を連ねています。
かつて女子教育の草分けである津田梅子が一番町に女子英学塾(後の津田塾大学)を設立した名残から、千代田区番町には私立の名門女子校が集まっています。
一番町には女子学院中学・高等学校、三番町の東京家政学院中学・高等学校や大妻中学・高等学校、六番町にある雙葉中学・高等学校など由緒ある女子校が建ち並んでいるのです。
高貴な空気感を醸しながらも緑が近い千代田区番町は、文化の発展を司る重要拠点としても機能していると言えるでしょう。
千代田区番町は魅力たっぷりの街!
千代田区番町は時に「東京の中心に一番近い町」と称される事があります。
それは地理的な意味合いだけではなく、文化的・機能的な面での中心地としての意味も含意していると言えるでしょう。
千代田区番町では凛とした高貴さと自然の持つ柔らかさが調和し、日本らしさとグローバルな空気感が共存しています。
加えて秩序の保たれた交通網が整備されているのですから、過去から現在に至るまで不動の人気を獲得しているのも納得と言えるのではないでしょうか。
千代田区番町の魅力に興味が沸いたら、一度足を運んでみてはいかがでしょう。
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